今年で第12回となる、医療・介護・福祉フォーラムが、9月3日(日)に藤枝市民会館・ホールにて、開催されました。

この医療・介護・福祉フォーラムは、もともとは志太医師会の会員の先生方による勉強会。これが発展した形で出発しました。現在のような講演会形式をとるようになったのは、第8回からのこと。第8回は、長尾和宏先生に「平穏死について~多くの人が地域ですべきこと・かかりつけ医がすべきこと~」、第9回は、秋山正子先生に、「住み慣れた地域で、最期まで自分らしく暮らすために」、第10回は玉置妙憂先生に「地域で看取り看取られる~スピリチュアルケアのすすめ~」、それぞれのテーマに沿ってお話しいただきました。第11回は上野千鶴子先生に「ひとりでも最期まで自分らしく生きる~慣れ親しんだ場所で最期を迎えるには~」をテーマに会場にてお話しいただく予定でしたが、開催3日前に上野先生がお怪我をされ、急遽、会場の皆さん、WEB参加の皆さん共に東京からの先生のお話を聞いていただく形となりました。そして今年、第12回は石飛幸三先生を講師にお招きし、「人生最終章における医療の意味」と題し、貴重なお話をいただきました。

【講師の石飛幸三先生】

講師プロフィール

世田谷区特別養護老人ホーム 芦花ホーム・上北沢ホーム 特別顧問
慶應義塾大学医学部卒業。1970年ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。帰国後、慶応義塾大学医学部兼任講師、1993年東京都済生会中央病院副院長、2005年より特別養護老人ホーム芦花ホーム、上北沢ホームの常勤医等を経て2023年6月より現職。

診療の傍ら、講演や執筆などを通して、高齢社会の到来と共に医療(医師と看護師)と介護が連携して、使命を果たさなければならない時代だと言述する。また、「どう死ぬか」は「どう生きるか」と同じこと。老衰末期における苦しまない自然な最期として「平穏死」を提唱。人生の最期をどう迎えるか、老いに対して医療はどこまで介入するべきかなど、死と向き合う家族の声に耳を傾け続けてきた経験を基に、大切な人を幸せに見送る心の持ちようや看取り方、満足して生を締めくくるための生き方を提案している。主な著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社)、『平穏死という生きかた』(幻冬舎)などがある。

【当日の講演の様子】

 

当日は、会場およびWEBでも同時配信を行い、沢山の方にご参加いただきました。

 

 

~ 先生のお話から ~

高齢化社会になり、何が何でも生かさなければならない、それでいいのか、という場面が増えてきた。それが 本当にその人のためになるのか、この人に本当は何をしなければならないのか、社会で考えなければならない時が来ている。

三宅島の文化、「自然」を受け入れる。そこから学んだ「食べないから死ぬのではない、死ぬから食べないのだ」ということ。

いろんな治療をしてきた。意味のあることはやらなければならない。医療の押し付はどうか。その人の人生の役に立ってこそ医療。医療の意味を考えよう。

先生は医療者としての長い経験の中から、たくさんの症例、そして医療者としての思いを語ってくださいました。会場の皆さんはその先生の思いに深く共感し、そして先生の穏やかな語りに聞き入っていました。

 

参加いただいたみなさんからの感想の一部ですが、ご紹介いたします。

【会場参加の方からの感想】

あらためて生きる意味や高齢者に対しての医療を考えさせられた。

小・中・高・大学では家庭の在り方や人生の上り坂、下り坂についてはなかなか教わる機会が少ない。今後は多くの機会にそれぞれの「下り坂」についてデザインを考えていきたい。

対象者やその家族の意志・考えを尊重したうえで、医療・介護を提供することの大切さ、医療と介護のつながりを大切にすることの必要性について学ぶことができた。

ACP、意思決定など、自分で決められるうちに行っておかないと高齢化が進む日本においては自分らしく生きられないのではないか。自分らしく生きたいなら、自分らしいが何なのか準備して示しておく必要がある。

70歳になったばかりで人生の最期についてあまり考えたことがなかったが、今日の話を聞いて、じっくり自分の人生のしまい方について考えてみたいと思った。4人の親は、胃瘻も人工呼吸器もつけなくて人生を終われたこと、よかったと思う。

【WEB参加の方からの感想】

終末期の方の食事について、「もう食べられなくなっている」ことは分かっていても、「これならば食べられるのではないか」「少しでも食べてもらえれば」と、いろいろな物を考え、提供していることが良いことなのかどうか迷っていた。本人にとって‘意味のあることなのかどうか’を考え、向き合っていくことが大切であると感じた。

石飛先生の一つ一つの言葉に哲学的な重みがあり、死に際しても、愛情にあふれた環境(たとえそれが他人であっても)で、安心して自然な形で最期が迎えられたらこんな幸せなことはない事なのだと思える講演でした。感動しました。また志太医師会の先生方の質問で、先生方の思いも視聴者に伝わりました。このことも、感動しました。志太に住んでいてよかったと思いました。

人生最終章に医療と介護が手を取り合い、『本人家族の思い通り』を叶えられる。平穏な最後に関われるよう日々努力したいと思いました。

本人の意思決定があって家族も同意していて自然の形で死を迎えたいと思っていても救急搬送を選び病院またはケアを受けた後施設に行きすぐ亡くなってしまうケースをいくつか見ていて、今回のお話で家族も知識を持つことが必要だということがとても印象的だった。これから予測できる状況が理解できていればどうするのがいいのか落ち着いて考えることができるので情報提供は大事だと思いました。

 

※ 当日参加された皆さんに配布させていただいた石飛先生からの資料(新聞掲載記事)です。

ぜひ、皆さんにも読んでいただきたく思います。

【人生の下り方をデザインせよ】

医療と介護は、人々の人生を側面から支える意味においては一つである。

しかし一般に認識されているのは、老いて生活に支障が生じると介護を、病気になったら医療を受けるという使い分けだ。この場合の病気の中には、老化にまつわる諸症状まで含まれている。

医療と介護の両方を長年経験して来た私は、この認識を見直してほしいと願っている。なぜなら、この認識のせいで、本来は穏やかであるはずの老いの終末が、苦痛の多いドタバタになりかねないからである。

かつて私はガンを取り除いたり、古くなって目詰まりしてきた血管を通したり、部品の修理をしているに過ぎないと思うようになり、それを確かめようと思って特別養護老人ホーム芦花ホームの常勤医になった。

そこで見たものは、私と年齢も同じくらいの方で老いて認知症もあり、食べられなくなった入所者に、病んでいるからと強い薬や人工の部品を勧める医療であった。

しかし身体は老いて既にガタがきている。過度な医療が責め苦となって身体は悲鳴を上げていないだろうか。手術や治療が回復を約束してくれるだろうか。むしろ苦痛や負担を与えることにならないだろうか。「病気になったらすぐ医療を」という認識を改めて考え直して、老いていく身体の声にもっと耳を澄ませてほしい。

自分たちは医療に素人なのだから病気になったら黙って治療を受けるしかないと思うのは、自分の人生の主体性まで手放していることになるのではないか。

人生の主体は自分であることを自覚して、医療をどう自分らしく人生に利用するか考えたい。老いは治療で元には戻せない。

いよいよ終わりが近づいてくると食べられなくなり、管で栄養を入れても身体はそれを受けつけない。だが、慌てることはない。それは終点に向かって坂を下って行く自然の摂理であり、最後を迎えるための準備をしているのである。

やがて眠って、眠って、穏やかに旅立つ。

自分らしく最後の坂を下って行く。下り方を自分でデザインする文化を、超高齢化多死社会の日本に求めたい。

世田谷区社会福祉事業団 顧問医師 石飛幸三 令和五年七月記

【日本経済新聞 令和5年7月28日号 掲載記事より】

 

先生の穏やかな声と話し方、そこから伝わってくる熱い思い、そして提供してくださった掲載記事からのメッセージ。それらは参加してくださった皆さんに深く響き、あらためて自分の人生にとっての医療の意味、それを考える機会をくださいました。石飛先生、ありがとうございました。